ドキュメンタリー映画『夜明け前のうた』が聴こえてくる。そこには、沖縄問題、精神障害者差別、座敷牢問題など、幾重もの格差や差別の問題が凝縮されている。はっきりしていることは、現代日本が、否、日本の本土が目を瞑ってきた問題である。学ぶことによってのみ、おびただしい数の犠牲者に報いることができよう。 同時に、現代版座敷牢と揶揄されている精神科の超長期入院問題を考えるうえでも大きな示唆を与えてくれる。過去と現在、沖縄と本土、これらの架け橋になってくれているのがこの映画である。耳を澄まして聴こうではないか。島風の中の静かなうたを。
藤井克徳 (日本障害者協議会代表、きょうされん(旧称:共同作業所全国連絡会)専務理事など。精神保健福祉士)
精神科医なのに、沖縄の「私宅監置」が本土よりも長く続いていたことを知らなかった。また「私宅監置」の事実は知っていたが、どんな人たちがそこで長い時間をすごしたのか、ひとりひとりの人生に思いをはせたことはなかった。衝撃そして精神医療の従事者として恥じ入るような気持ちで画面を見つめた。沖縄の美しい風景の映像がそんな私を慰めてくれるようだった。若い人たちにこそぜひ見てほしい。
香山リカ (精神科医、立教大学現代心理学部映像身体学科教授)
およそ450万年前に樹上から地上に降りてきた人類の祖先は、それまでの単独生活をやめて群れて生きることを選択した。だからこそ人は、自分たち多数派とは違う人や少数派を差別して迫害する。排斥して攻撃する。隔離して不可視にする。 その歴史を知ることが近代だ。でも人は自分たちの過ちや不正から目を逸らそうとする。なかったことにしようとする。 新たな光と角度が必要だ。沖縄の陰影の強い陽射しのもと、小さな空間に閉じ込められながら生を断絶された人たちについて、僕たちは知らなければならない。想わなければならない。差別は差別を再生産する。被虐は加虐へと反転する。 直視しよう。原が提示する新たな光と角度を。閉じ込められて生きた人たちを。その悲しみと怒りを。
森達也 (映画監督・作家・明治大学特任教授)
映画を観て、虐げられた民を描いた作家・船戸与一の言葉を思い出した。「世界の矛盾はなかんずく、辺境にこそ集約される」。その言葉を借りれば、「日本の矛盾はなかんずく、沖縄にこそ集約される」だ。 私宅監置…この信じ難い人権侵害を知らずにいることは、私たちが加害者の立場に立つことに等しい。やむにやまれぬ思いから始まった原義和監督の執念の取材に、敬意を表さずにはいられない。これこそが、真のジャーナリズムだ。
大島新 (ドキュメンタリー監督)
心に突き刺さる映画。米国統治下の沖縄で、日本人でもなく制度からも見落とされ、戦後も進められていた私宅監置の実態について、初めて生の声を聞いた。沖縄県民として知るべき映画だ。 「障害とは何か」と問われる。生きることに必死だった戦前・戦後。教育を受けられなかった視覚障害者の証言にもあったように、健常者でない多くの人たちにとって、社会からの排除は構造的に露骨に行われてきた。誰も排除されない当たり前の社会を実現するために、今、私宅監置の過去に目を背けてはいけないと痛感した。隔離・排除からは何も生まれないことを知る映画。
長位鈴子 (沖縄県自立生活センター・イルカ代表、障がいのある人もない人もいのち輝く条例づくりの会事務局長、DPI日本会議常任委員)
1972年に終わった私宅監置は、2016年の「津久井やまゆり園事件」へとつながっています。それはともに、「役に立たない人」をこの社会から消し去ろうとする動きでした。そうした人びとを「世間に迷惑をかけないよう、見えなくする」意識はずっと残りました。合法な制度であれ非道な凶行であれ、根底にある意識は変わっていない。そこから抜け出すための「うた」を、この映画はうたいます。
斉藤道雄 (ジャーナリスト、元TBS記者)
沖縄はさまざまな人やモノが交錯し、豊饒な文化を育みつつ、複雑な歴史を歩んできた場所である。精神障害者をコントロールしようとする近代日本の制度は、そのような場所をも容赦なく包み込んでいった。日本本土では 1950年に廃止された私宅監置制度が、本土復帰まで事実上存続した背景には沖縄の特別な事情がある。 『夜明け前のうた』は、私宅監置というわが国の精神医療史の重大な問題を、沖縄の文脈に沿って丹念に追究しているという意味で学術的な意義が極めて大きい。しかし、単なる歴史的な記録とその解説というレベルには到底おさまっていない。私宅に監置された人々やその家族、関係者などの内面の奥深くにまで迫る映像がわたしたちに問いかけているのは、私宅監置という劣位の処遇に象徴される精神障害者への社会の認識や態度が、いまなお普遍的に存在するのではないかということだろう。
橋本明 (愛知県立大学教授・私宅監置研究者)
隠された世界に気づく責任。日本国憲法には基本的人権が謳われている。私のような戦後生まれの世代にとって、人権は感覚的に人間が人間として生まれながらに持っている権利として当然のように受け止められている。実際に個々人の人権が剥奪される現場に直面する機会は、そう多くはない。おそらく私たちは無意識的に人権が侵害されている事実にはほとんど気づかずに過ごしているにちがいない。映画「夜明け前のうた」は、そうした現場が確かにあることを示してくれる。戦後、沖縄の障害者の人権は間違いなく奪われていたのだ。この映画を観て、意識的に人権を考える機会にしたいものだ。
秋葉正二 (日本基督教団牧師、外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会事務局長)
原義和さんは沖縄在住のジャーナリストです。福島の被災地、沖縄の精神しょうがい者との交流など、社会の中で沈黙を余儀なくされているところに光をあてて、映像、言葉で伝えてこられました。今回は沖縄で私宅監置という形で居場所を奪われた一人ひとりを想起することで、社会の中によみがえらせています。痛みを憶える内容ですが、キリスト者である原さんらしい賛美歌や言葉が散りばめられています。
増田琴 (日本基督教団経堂緑丘教会牧師)
小さな牢から出ることも叶わず、見えない存在とされた人たち。誰に聞いてもらうことも期待できず、口にしていた「夜明け前のうた」に監督は耳を傾けようとする。そして今や直接聞くこともできなくなった「うた」の痕跡を探し続ける・・・。彼ら彼女らに人間以下の生活を強いたのは、直接的には私宅監置という制度だ。しかしそれを根底で支えたのは、この社会の一人ひとりだったはず。私宅監置がなくなった本土では、沖縄に先立って巨大な民間精神科病院が用意された。そして今も、患者の人権が踏みにじられているとの報告が絶えない。いまこのときも、壁の向こう側では「夜明け前のうた」がうたわれていることだろう。私たち一人ひとりが耳を傾け、壁の向こうから聞こえる「うた」の存在に気づければ、光が差す日も近づくのではないか。多くの人に、この映画から、大切な気づきを得てほしいと思う。
森下光泰 (NHK『バリバラ』チーフ・プロデューサー)
私宅監置の弱者への眼差し 日本は、近代市民社会形成の途上(太平洋戦争期まで)、八紘一宇を翳して大東亜共栄圏の確立に邁進した。その際、臣民として自分を律し得ない弱者を「足手まとい」として、合法的に「私宅監置」した。中でも心身に障害のあるものはその標的にされた。就中、当時二流国民とみなされていた沖縄の障害者は、1945年の敗戦後も異民族支配下に置き去りにされたままであった。 沖縄に移住した原さんは、その実態に遭遇し、日本の戦後史が隠蔽してきた真実を広く国民に開示することを決意、現場を踏査し映画を制作した。その眼差しは同時に沖縄に向けて放たれている。
玉木一兵 (季刊詩誌「あすら」同人・作家・精神保健福祉士)
閉ざされた心の窓を開く巡歴の力 隔離された闇のむこうからこちらを射抜いてくる一筋の眼光、たとえようもない深い力を持ったその眼光と向き合い、無言のうちに語りかけてくる声を聴き取るところに映画は生まれる。 まなざすことと、まなざされること、そこには越えがたい壁があるにしても、幽閉された小屋の内部に入り、そこから監置する制度の不条理を見返していく。アジアの「慰安婦」や原発事故で被災したひとびとの傷と痛みを見続けてきた原監督の苦行に似た巡歴が、沖縄の小さき者たちの“うた”を発見する。そのとき、閉ざされた心の窓は開かれ、光と風を招き入れていく恩寵のような“時”に出会えるだろう。
仲里効 (映像批評家)
この映画に映された闇は「とりあえず凌ぐ」ための事だったのか。光が当たらない生活の中で歌を歌って耐えた人々が実在していたこと。未だ語られず蓋をされたままの事実に、一つのスポットライトが当たった。 時代と形が違っても、私たちが今だ抱えている問題だと思う。非人道的で過酷な生活を強いられた人がいた事実に被さった蓋を開き、私達が未だ抱える課題への一筋の光として見ていただきたい作品だ。
川満アンリ (タレント)
沖縄戦や戦後の米兵との軋轢によって精神疾患を患ってしまった人も少なくなかっただろう。そんな人たちが長い間隠されてきた事実。プライバシーに関わるからと言って写真を伏せようとする研究者と「いないものとしてはならない」とする撮影者。「辛い過去だから封印したい」「苦しむのは当事者よりも周りの人々」という声と、「人生を奪われた人たちの公的な調査や検証がないまま、この問題を風化させてはならない」という監督の穏やかだけど本気の対決。 すべての事柄を「戦争が悪い」「沖縄を切り捨てた日本の責任」で片づけるのは短絡的過ぎるかもしれないが、少なからずその一端は担っているという事実は忘れないでおきたいと思う。
平良愛香 (牧師、平和を実現するキリスト者ネット事務局代表)
原義和監督の、人間としての温かくケアに溢れる眼差し、国家なるものに対する厳しい視座、自身のあり方に対する激しい反省、これらのものが滲んで感じられる繊細なドキュメンタリー。そのうちに、ふと、映像を撮っているカメラが、視聴者である私にくるりと振り向くような気がして、「お前はどうなんだ」と問われているような錯覚。・・・ではなく、私たちがこの社会・世界において何を感じ、考え、発言し、行動するのか、間違いなく問われているのだと思わされる。痛いほどの厳しさをまとった、尊厳と愛の映像です。
奥本京子 (平和紛争学、大阪女学院大学教員、東北アジア地域平和構築インスティテュート副運営委員長、国際トランセンド東北アジア地域コンビーナー)
治安維持のために「私宅監置」という国策によって隔離され、人としての自由と尊厳を奪われた障害者を、原義和監督は、彼らが歌った「うた」を追うことによって、彼らの人となりをも描き出しました。『うたう』ことは『生きる』こと、彼らの存在そのものです。無き者に等しくされた彼らを、名前を持つ一人の『人』として光を照らしました。哀しみの「うた」は希望の「うた」、喜びの「うた」、自由の「うた」となるよう願いを込めて。
糸洲のぶ子 (沖縄YWCA会長、オルガニスト、沖縄キリスト教短期大学非常勤講師)
柵の向こうから穏やかな眼差しを向ける金太郎さん、老後を過ごした施設での藤さん、仁吉・達雄さん兄弟を監置した小屋の前で、途方に暮れているような母の顔が、今も浮かんでくる。原義和監督は、監置隔離され見えなくされた人々の命・存在を、社会に出そうとした。それが、鮮やかに伝わった。 1964年、患者の姿に「阿鼻叫喚」を感じ写真と記録を残した岡庭医師。その記録をもとに原監督はどれだけ歩き、人に会い、想いを語りあっただろうかと想像する。きっと、まだ歩き続けている。私は歴史に逆らいつぶやく・・1900年監護法制定の21年前に、日本国に強制併合されていなければ、と。『日本復帰』で救われたのではなく、根本はここだ。(沖縄上映初日に)
島袋マカト陽子 (東京琉球館主宰)
"whisper voice" 2020 山城えりか(※この絵は、映画で用いられています) あなたは私の創造性を刺激した。 きっとあなたは、先の見えない闇の中、消え入りそうな歌声で儚げに、しかし希望を捨てずに歌を歌っていたのでしょう。もしかすると空想の世界で生きる事で自分を保とうとしていたのかもしれない。 とらわれる前はその美しい容姿で生きる喜びをダンスで表現していたかもしれない。弱々しい、けれど美しい歌声で歌に希望の想いを込めていたのかもしれない。 敬意を込めてあなたを描きました。
山城えりか (画家)
1972年4月埼玉県、小学3年生の私に新たな担任は「沖縄出身なのだから、英語で自己紹介をしなさい」と告げた。「できません」と答えた私はバケツを持って立たされた。同じころまで沖縄では「自宅監置」は合法化されていた。見終わった瞬間、かつてを思い出しながら「無知は差別を助長する」とつぶやいた。映画は、名も知れず歴史の闇に葬らせる問題を静かに深く問いかける。今を変えるには過去を知ることは不可欠だ。多くの人々、特に若い人たちにみてほしい秀作だ。
砂川浩慶 (立教大学社会学部メディア社会学科教授)
歴史の片隅に葬られていたあまりにも「重たい事実」に正面から向き合い、丹念に記録したこの映画とこの監督に、時代に翻弄されないジャーナリズムの凄みを見る。凍てつくような圧倒的な絶望の中で編まれた死者たちの歌を、言葉を、「過去」にダイブした原義和は聞き続けたのだろう。
桃井和馬 (写真家、恵泉女学園大学特任教授)
原義和という監督は、閉ざされ続けてきた人々の声を作品にしてきたジャーナリスト。 沖縄の風景と「消された人たち」の写真に引き込まれながら、コロナ禍以前から広がってきている相互監視の鬱屈した空気感を共有する。公文書や記録を改ざん、隠蔽して、「記憶にない、なかった」と言い張る政治家、官僚たちの原点が、人間の存在を不可視化した「私宅監置」ではないのか……。 まさに日本社会の闇を照射する作品。
山本邦彦 (高文研編集部)
「植民地沖縄」。私はこう思っている。私宅監置がヤマトで廃止されても琉球には残った。米軍政下だからだ。精神病者、精神障がい者を人間として扱わなかったヤマトですら廃止した制度が、日本より精神障がい者のサポートシステムが進んでいた「アメリカ世」の琉球では生き延びる。ここに植民地支配の残酷さを感じる。 私宅監置で命をつながざるを得なかった人びと、命が絶えた人々。その一人一人を「名前」を取り戻して今に復活させようとしたこの作品は「植民地」というものの残酷性をあぶりだす。そして名前の復活の作業はどのような「治下」であろうと人の尊厳を取り戻す。 ヤマト、アメリカ、そしてまた日本政府の下にある琉球、この映画は朝鮮の植民地出身者の子どもとしてイルボン(日本)で生を受け生き抜いてきた私に、また「歴史」を突き付けてきた。
呉光現 (聖公会生野センター総主事、在日本済州43事件犠牲者遺族会会長)
人間からうたを奪うことはできない。 言葉を失ってしまった重度の統合失調症の人たちでも、発病以前の時に覚えたうただけは、はっきりした言葉で生き生きとうたうのを精神医療関係者であれば知っている。国が、地域社会が、医療が、家族が、親が、精神障害者を狭い檻に幽閉したときも、抗議の沈黙と憎悪と絶望の中から、うたがよみがえるのだ。 この国の過去の歴史の通り、身体障害者や知的障害者も隔離されたが、彼らは精神障害者よりも先に解放され、人生を取り戻してきた。そのひとり、ある盲目の女性が解放された世界でうたったうたは「ぼくらはみんな生きている」という太陽と命のうた。ならば、取り残された精神障害者として幽閉の闇の中でもうたい続けた女性、藤さんがうたって、彼女が監置された小屋の側を通る村人や子どもたちが聞いた、そのうたはどんなうただったのか。監督の執念が奇跡を生んで、そのうたがつきとめられる。それは、海と生命への賛歌だった。 私たちが奪ってきた数々の精神障害者の人生、その彼らの絶望の闇の中で私たちを睨み据える目が、それでも私からうたを奪えないと言っている。
高木俊介 (たかぎクリニック、ACT-K主宰、京都・一乗寺ブリュワリー代表取締役)
国家、共同体、家族が共謀し、ひそかにつながり、一人の人を排除する残酷を思いました。その繋がりの中に私たちがいます。映画を見ながら、自分もまた、排除する側に簡単に回ってしまうであろうことも実感していました。国家から家族に押し付けられ、隠された最も小さくされた人たちのことをなんとしても記録に残したいという、原さんの強い意思を感じました。その意思を共に分かち合いたいと思いました。
杉山春 (ルポライター)
 木の檻。その現場検証からはじまる。ここに誰がいて何があったのか。サスペンスドラマのように事実が明らかになっていく。今まで隠されていた、それは監置された人と監置に係わらざるを得なかった人たちとが、目の前に現れる。だれもが隠し通したかった事実。けれども私たちが知らなければならない事実。それは時を超え、形を変え、今も私たちがしていることだから。しっかりと見なさい、あなたはどうしますかと問われている。監置された人たちが見ることができなかった沖縄の陽の光は眩しく、海は美しい。
和田芳子 (日本基督教団東海教会牧師)
一枚の白黒写真。深い・・・。 事実が持つ力の大きさ、事実が訴える深いメッセージを、感じました。 「ぼかし」を入れない。実名で語る・・・。 半世紀以上にわたって消された続けた事実に、直視する貴重な時間でした。 ”過去を直視することでしか、確かな未来は開けない” まさに、そうです。原さん、ありがとう! (2021年4月18日 名古屋シネマテークにて観賞)
池住義憲 (元・立教大学大学院教授)
黒澤明監督の映画「赤ひげ」に座敷牢の場面が出てくる。そういう昔の話しと思っていたが沖縄に私宅監置という名で残っていたことを知らなかった。ありったけの地獄を集めた、と言われる沖縄戦の間、この人たちはどうしていたのだろうか。 画面に写し出された撮影者・監督の影。自分の影をなぜここまで写し込んでいるのか。なんとなくドキュメントらしくない演出。社会の闇を追う、そうした自分自身の中にある闇の部分を、そして私たち一人ひとりの闇の部分をも追及しようとしているのではないか。
大畑豊 (非暴力平和隊・日本(NPJ)共同代表、辺野古抗議船船長)
「夜明け前のうた」見ました。素晴らしい映画です。 細長い歩く人影が何回も出てきました。あれは撮影者を影と表現する演出でしょうか?印象的です。大阪で長年、看護師として働き、精神病院の人権侵害の実態はよく見聞きしていました。しかし、アルコール依存症、認知症、躁鬱症など何人もの人を入院させました。私宅監置ではありませんが、その人達からみたら、隔離でしかないと思います。映画の最後にその小屋に閉じ込められていた人の名前がわかった時、本当に救われた想いがしました。人間の尊厳を回復させるとはこういうことなんだなと思い、私達がこういう歴史を伝えていかねばと思います。
稲垣絹代 (名桜大学名誉教授(看護学)、ナイチンゲールの会代表)
丁寧な取材と対象者への愛を感じる映画で、清々しさを感じた。呉秀三が1918年に「わが邦十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるというべし」と語っているそうだが、「私宅監置」によって沖縄の精神病者は三重の苦労を背負ったという解説が多くを語っていると思った。どの場面も語りすぎず、余韻を持って場面が切り替わり、優れた映画だと思った。お勧めしたい映画だ。
島しづ子 (うふざと伝道所牧師)
観終わると、存在を消されたひとりひとりが光の中に浮かび上がってくるような感動がありました。なぜ人生を遮断されたのか。監督の視線は制度の仕組み、世間に潜む排除の思想にも鋭く向けられ、私たちに問いかけます。さらに海外の場合を見ることによって、日本社会の非人間的な本質に気づかせるのです。制度と世間を告発する面がありながら、人が愛おしく思えてくる不思議な映画です。
外山真理 (日本YWCA幹事)
旧相馬藩主を府立巣鴨癲狂院に入院させたのは、不当な人身拘束だと訴えたのが相馬事件である。この事件により、「日本には精神病患者に関する法的な規定がない」ことが欧米に知られた。そこで明治政府は対外的なアリバイとして精神病者監護法を作った。この法律により精神病患者の私宅監置が合法化された。 しかしそこには患者の人権への配慮も治療も全くない。欧米ではフランス革命(1789)に代表される人権思想によって拘束されていた患者が鎖から解放され、現代につながる精神医療が生まれた。 経済などの華やかな分野は公的なセクターが支え、精神疾患や高齢者介護などは私的な空間(家庭)が支えるという「日本型自助福祉」の構造は、精神医療の大半を民間に丸投げした現在日本の精神医療に引き継がれている。この映画は日本の家制度にも一石を投じる。
蟻塚亮二 (精神科医、沖縄戦精神保健研究会副代表)
まなざしは声です。私には写真のおひとりおひとりのまなざしが、声なき「うめき」「叫び」のように見えました。「非存在にもかかわらず、存在しようとする意志」が、私の心をつきさしました。目をそらしてはいけない。直視せねば。そして、声に耳をすませなければ。読み上げられたおひとりおひとりのお名前に、救われる思いでした。そのまなざしはやさしく、愛しく見えました。ゆるしてください。そして、ありがとうございます。
沢知恵 (歌手・ハンセン病療養所の音楽文化研究)
実名、モザイクなしの顔写真がスクリーンに映し出される。見つめるその視線は、他ならぬこの私を射貫く。存在することを否定された人びとに光を当て、歴史の直中に「確かに存在した生命」であることを刻むこの営みが、どれほど大切でどれほど大変であったかを想像する…。原義和監督を突き動かす原動力=「愛」と「怒り」を私もまた携えて生きて行こうと決意する。オキナワに強いている現実が、ここフクシマにも形を変えて強いられていることを決して忘れない。
片岡謁也 (日本キリスト教団若松栄町教会牧師)
消されかかった人々の名と生の証を刻む映画 「私宅監置」という冷たい四文字の響きの陰で、決して遠くない過去にむごい出来事が進行していた。私製の家畜小屋のような、牢獄のごとくのあれらの小屋に、家族の一員が長い年月にわたって監禁、隔離されていた。中に入れられていた多くは精神障がい者たちだった。歳月が流れた。畏友・原義和は、そのなかに閉じ込められていた人々の名前と生きていた証を何とか探しあてて刻もうともがいていた。なぜならば、ほんとうの人間の歴史は、勝者や成功者、支配者や優等生、大金持ち、有名人や偉人らの物語ではなく、名もなき民、声なき声の持ち主、敗者、消されて当然とされた人々が(そう言えば、あの津久井やまゆり園事件の彼の造語=「心失者」も)参加した人類の壮大な流れであるからだ。そこに何をあなたはみるか。——何がみえましたか?
金平茂紀 (ジャーナリスト、TBS「報道特集」キャスター、早稲田大学大学院客員教授)
2021.08.31(随時更新)