犠牲の歴史と向き合うこと
孤独と絶望に思いをめぐらせること
傷つけられた尊厳の回復を祈ること
死者の歌に耳を傾けること
消された名前を刻むこと
孤独と絶望に思いをめぐらせること
傷つけられた尊厳の回復を祈ること
死者の歌に耳を傾けること
消された名前を刻むこと
イントロダクション
知られざる沖縄の犠牲
『一部の犠牲はやむを得ない』…これは日本国家の根幹にあり続けている考え方です。 戦後、サンフランシスコ条約によって沖縄を日本から切り離したことは、その象徴と言えるかもしれません。その後の米軍基地の沖縄への集中も同じです。その考えは地域社会においても、日本の隅々まで貫かれてきました。
10数年にわたって私宅監置されていたある女性は、よく歌っていたと言います。監置小屋の中で、歌を通して、彼女に一筋の救いの光が訪れていたことを願わずにはいられません。 今なお、居場所がなく孤立している精神障害者は大勢いますが、それは私宅監置の過去と地続きです。形を変えた私宅監置は至る所にあります。過去の過ちを検証し、犠牲者に謝罪し、償う。そこから出発しない限り、日本は永久に確かな未来を開くことはできない…。耳を澄ますと、犠牲者の歌が聞こえてきます。
『一部の犠牲はやむを得ない』…これは日本国家の根幹にあり続けている考え方です。 戦後、サンフランシスコ条約によって沖縄を日本から切り離したことは、その象徴と言えるかもしれません。その後の米軍基地の沖縄への集中も同じです。その考えは地域社会においても、日本の隅々まで貫かれてきました。
私宅監置。1900年制定の法律に基づき精神障害者を小屋などに隔離した、かつての国家制度です。精神障害者を犠牲にし、地域社会の安寧を保とうとしてきたのが日本です。1950年に日本本土では禁止になったこの制度は、沖縄ではその後1972年まで残りました。やむを得ない犠牲として沖縄を見限った、日本国家の考えそのものと言えます。
隔離の犠牲者は人生を奪われ、尊厳を深く傷つけられましたが、公的な調査や検証は行われていません。傷つけられた魂は天に昇ることができず、今もこの世を彷徨っていると思います。家族の恥、地域の恥、ひいては日本の恥として闇に葬られてきた歴史です。本当に恥ずべきは、隠し続けることではないでしょうか。この映画は、小さくされ、犠牲を強いられたごく一部の人びとのことを、あえて見つめる映画です。犠牲になってもやむを得ない命は無いからです。闇の歴史と向き合うことで、初めて開くことのできる光の地平があると信じます。
なぜ、歌っていたのか10数年にわたって私宅監置されていたある女性は、よく歌っていたと言います。監置小屋の中で、歌を通して、彼女に一筋の救いの光が訪れていたことを願わずにはいられません。 今なお、居場所がなく孤立している精神障害者は大勢いますが、それは私宅監置の過去と地続きです。形を変えた私宅監置は至る所にあります。過去の過ちを検証し、犠牲者に謝罪し、償う。そこから出発しない限り、日本は永久に確かな未来を開くことはできない…。耳を澄ますと、犠牲者の歌が聞こえてきます。
監督
原 義和(フリーTVディレクター)
1969年愛知県名古屋市生まれ。2005年より沖縄を生活拠点にドキュメンタリー番組の企画制作を行う。東日本大震災の後は福島にも通って取材し、Eテレ「福島をずっと見ているTV」などにディレクターとして参加。
主な制作番組は「戦場のうた~元“慰安婦”の胸痛む現実と歴史」(2013年琉球放送/2014年日本民間放送連盟賞テレビ報道番組最優秀賞)、「インドネシアの戦時性暴力」(2015 年7月TBS報道特集・第53回ギャラクシー賞奨励賞)、「Born Again~画家 正子・R・サマーズの人生」(2016年琉球放送/第54回ギャラクシー賞優秀賞)、「消された精神障害者」(2018年Eテレ ハートネットTV/貧困ジャーナリズム賞2018)など。著書に「消された精神障害者」(高文研)、編書に「画家 正子・R・サマーズの生涯」(高文研)。
私なりの抵抗
きっかけは、写真との出会いでした。
1960年代に沖縄で撮られた写真。撮ったのは、東京から医療支援に行った精神科医です。撮られたのは、精神障害者。小屋などに隔離されていました。医師は当時、地域の保健師や区長らの導きで、彼らを訪ねて歩きました。そして、シャッターを切りました。
カメラは、隔離患者に驚くほど肉薄しています。
1960年代に沖縄で撮られた写真。撮ったのは、東京から医療支援に行った精神科医です。撮られたのは、精神障害者。小屋などに隔離されていました。医師は当時、地域の保健師や区長らの導きで、彼らを訪ねて歩きました。そして、シャッターを切りました。
カメラは、隔離患者に驚くほど肉薄しています。
鋭い眼光。私は、その眼差しに射抜かれたように感じました。
「あなたはなぜ、私を見ているのか」「あなたは何者か」「何をしているのか」「あなたは、どこにいるのか」「どこに向かっているのか」
そんな声が聴こえるような気がしました。
監督 原 義和
映画に寄せて
“うちあたい”
~牢込小屋が抉り出す心の檻~
~牢込小屋が抉り出す心の檻~
高橋年男
(公益社団法人 沖縄県精神保健福祉会連合会 事務局長)
原義和監督が照らし出した闇(公益社団法人 沖縄県精神保健福祉会連合会 事務局長)
沖縄に残る「牢屋」の遺構は、沖縄戦の地獄と米軍占領下に置かれた戦後沖縄の精神医療の歴史を物語るものである。同時代の家族は、「監置所に入れられている人たちは人間扱いどころの話ではない。ブタやイヌでもまさかあんな取扱いは受けていないだろう」と記している。監置された本人はもとより、家族もまた、尊厳を奪われ、深い傷を負った被害者だ。
このドキュメント作品は、原義和監督が沖縄の本土復帰前に撮影された写真を手がかりに、牢込の過去と現在を問う。カメラがとらえた真実は、沖縄県史や市町村史からも消され、人権云々以前に存在しないものとされて、闇に隠されてきた物語である。 歴史的証言力
“うちあたい”というウチナー口(ぐち)がある。他人に向かって発せられる言動が、自分にとっても思い当たる節があり、後ろめたい、落ち着かないという心理だが、人道に反する牢込を恥じ入る、ヨコ社会の沖縄ならではのキーワードだ。
牢屋と呼ばれた牢込小屋は、せせらぎが傍らを流れ、裏山の今にも崩れそうな崖と亜熱帯の緑に包まれている。長い歳月でコンクリートも鉄扉もあちこち崩れ、村の一番奥でひっそりと息を殺していた。
この牢屋は、敗戦後の日本が平和国家として独立するという<擬制>と抱き合わせで、沖縄が生贄として米軍に占領され<犠牲>にされた、1952年に建てられた。全国で唯一この沖縄に現存する遺構である。牢屋は、沖縄のおかれてきた歴史を照射するとともに、人の心の見えない檻を可視化する。
歴史的証言が詰まった原監督のドキュメント映画。オーラを帯びた牢込小屋。真実を伝え、踏みにじられた尊厳の回復を!
【*注:「ウチナー口」=本土(ヤマト)言葉に対する沖縄言葉の表現】
※パンフレットから抜粋して掲載しています